岩略寺城跡
岩略寺城は東西三河の境目に位置し、戦略上重要な山城であった。永禄4年(1561)松平元康(後の家康)が長沢の城(登屋ヶ根城)を落とすと、深溝の松平伊忠を城番に命じて、松平氏の東三河侵攻の拠点とした。
標高174mの御城山山頂に築かれ、30m四方の方形の主郭(本曲輪)を取り巻いて大小20以上の曲輪が尾根筋に配置され、先端を堀切で区画する。堀・土塁・井戸などの遺構か良好に残り、天正期の初め頃(1570年代)の姿をとどめている。
地域 | 東三河 |
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所在地 | 豊川市長沢町御城山 |
電話番号 | 0533-88-8035 |