三遠南信徹底解剖
見どころ・聞きどころ・体感どころを一挙大公開!
地元の普通〜の人が舞台に立つや名役者に大変身。21世紀の娯楽として地元舞台が再燃か?! 【日本の技アリ!】 伝統芸能をはじめ、地元の人たちによって行われる歌舞伎や人形浄瑠璃など、巧の技・地元の技をご紹介。 |
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三遠南信エリアには、小さな村でそこの人々が演じる地元歌舞伎が長年受け継がれ、今も伝承されている地域がいっぱいあります。もともと歌舞伎は近世初頭に京都や大阪、江戸などの大都市で発達して、次第に地方の農民たちのもとへも伝わってきたのです。当時の農村の人々にとって歌舞伎は、農閑期最大の娯楽であり、村人が心を合わせるきっかけの場であり、そして人情や人の道徳などを自然に学ぶ機会であったのでしょう。人数もわずかという村に驚くほど立派な舞台が残されている様子をみると、人々が歌舞伎に懸けた想いが強く感じられるのです。 それでは、中からピックアップしていくつかご紹介しましょう。 |
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●大鹿歌舞伎:長野県大鹿村 | |
大鹿村の歌舞伎の始まりは、約250年前京都の旅役者から手ほどきをうけたという記録が残されているそうです。あまりに村人が熱狂するため、「仕事がおろそかになってはいけない」と案じた幕府が何度か歌舞伎の禁止令を出しますが、それでも村人たちは止めることはしませんでした。厳しい規制をかいくぐりながら絶えることなく今に伝えられてきたのです。 現在、大鹿村では春の五月三日に大磧神社舞台、秋の十月第三日曜日に市場神社舞台で定期公演が行われています。地元歌舞伎が特に盛んな村として知られる大鹿村は、平成12年には、地芝居として初めて国立劇場(大阪府)で歌舞伎を上演した実力派です。 |
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●浦川歌舞伎:静岡県佐久間町 | |
佐久間町浦川地区の歌舞伎の始まりは今から約150年前。当時江戸の歌舞伎役者・尾上栄三郎の公演がきっかけでした。尾上栄三郎はこの地の公演を最後に病死してしまうのですが、その悲報がより村人たちの歌舞伎熱を強めていったようです。 しかし実は浦川ではしばらく歌舞伎公演が途絶えていた時期があったのですが、昭和30年代になって地域の有志たちが集まり昭和62年に復活。以来毎年9月第4土曜日に浦川キャンプ村内仮設舞台、その後旧浦川中学校体育館で行われるようになりました。(現在公演休止中) |
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●田峯歌舞伎:愛知県設楽町 | |
標高387mの田峯台地へ登った山中にある田峯観音。ここで毎年2月12日に行われているのが田峯奉納歌舞伎です。歌舞伎発祥の由来にはこんな謂れが残されています。 徳川4代将軍家綱の頃、焼失してしまった日光寺の再建のために村人たちは地元の段戸山に入って木を伐採してしまいました。ところが当時天領であった段戸山の木を切ることはとんでもないおとがめがあるのです。その検分にやって来ることになった時、村人は過ちを悔いて観音様に「助けてくださったら、村が三軒になるまで歌舞伎を奉納いたします」と願をかけました。すると検分の日、代官たちが山に入ると旧暦6月というのに雪が降り、「こんなところで木を切れるわけがない」と代官たちは引き返したため一人の罪人も出さずにすんだ・・・というのです。以来「田峯の歌舞伎では必ず雪が降る」とまでいわれています。 舞台も独特で、現存のものも1863年の建築。かやぶき屋根で回り舞台も完備。祭りの約1週間前から観客席となる小屋を町民たちの手で造り上げるのですが、すべて丸太や竹を粗縄で縛るのみ。代代受け継がれてきた手法でとても見ごたえがあります。 演目の大トリは田峯小学校の生徒たち。最近ではアメリカと歌舞伎を通した交流も行っています。 紹介した3つの歌舞伎はどこも役者から裏方まで地元の人たちで行っています。そして桟敷に座り、顔見知りたちと一緒にご馳走を食べ、お酒を酌み交わしながら歌舞伎を楽しみます。舞台上の役者が見得をきれば掛け声がかかり、おひねりが舞い飛ぶ。「これぞ舞台と観客が心ひとつになっている」と実感できるのです。 もちろん遠方からの鑑賞者も喜んで迎えてくれますが、今や地元歌舞伎は絶大な人気があり、いつも超満員。場所取り獲得合戦に勝たないことには特等席での見学は無理かもしれませんのであしからず・・・。 |
三遠南信エリアの中でも伊那谷は人形浄瑠璃が盛んな地域です。伊那谷人形芝居と称される、黒田人形(飯田市上郷)・早稲田人形(阿南町)・今田人形(飯田市龍江)・古田人形(箕輪町)4座は、江戸時代から参加に行われてきた人形芝居の中で今なお上演活動が続けられています。それぞれに独特の味わいを保ちながら活動し、ときおり4座合同でお披露目をしていますが、その技術たるやプロも太鼓判を押すほどです。 人形浄瑠璃は、一つの人形を三人で操ります。主遣い(おもづかい)がかしらと右手を操作、左遣いが人形の左手と小道具を担当、足遣いは足を操る…というように、3人の息がぴったり合わなくては話になりません。しかも衣裳や小道具を持った人形は想像以上に重量があることにも驚きです。 どの座に属する人もほとんど仕事を持っているので、人形浄瑠璃の稽古は夜や休日などに行われています。それでも人形浄瑠璃にかける情熱が技術を伝承しつづけ、いつまでも観客を魅了させているのです。 |
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